教育学部教員コラム vol.9

2008.12.04 こども発達学科 鈴木秀雄

「ゆとりある社会」の再考

今や、その土地の伝統文化や歴史が重要である地域の動きとは裏腹に、世界はグローバル化の波に飲み込まれ、何事も一国の思い(施策)だけでは、容易に課題の克服を図ることが難しい情勢に益々なってきています。経済活動などでは、規制緩和の名の下にHigh Risk,High Returnが時によしとされ、多くの歪みも生じてきました。Low Risk,Low Returnでもない、むしろ環境の分野に限らず多くの分野で、理想的といえどもNo Risk,Sustainable Society(リスクもなく、持続可能な社会)の構築こそが当然至極重要な地球時代であるといっても過言ではありません。

 

余暇時代の到来が叫ばれて久しいのですが、個人の側に立った余暇の発想は未だ根付いていません。今まさに、世界は金融危機、経済危機の只中ですが,このような時代にこそその分野の専門家として、社会に対し本質的な余暇のあるべき姿をしっかり説き続けていていかなければならないと思っています。

 

余暇そのものに対する信頼は、経済的な動きに社会が強い影響を受けると、途端に余暇そのものの価値も中心的な位置づけから疎外され、結果として個人の生活そのものの中にもたちまち“ゆとりある余暇”がしっかりと位置づけられていないことがうかがえます。

 

これまでは、既に自身が持ち得ている余暇に対する“余暇のやりくり(Leisure Management)の時代”であったと言えるでしょう。しかし、これからは、自身が持ち得ていない領域においても余暇を積極的に産み出していく、“創りあげる余暇(Leisure Development)の時代”でなければなりません。たとえ社会が大きな変化や激しい変遷をするなかにあっても、豊かな心と真摯な生き方を微動だにしない個人の生活を創りあげていかなければなりません。それは、いつになく、余暇活動としてなされるボランティア活動や趣味活動も含め、たとえ個人それぞれの私的な関心ごとへの快追求であろうとも、温かい他者への思いやりを決して忘れない多岐にわたる癒しがそこここに含まれた余暇の有り様が問われる時代であるのです。

 

余暇とは、決して余った暇などではなく、創りあげなければ存在しない、自由裁量の“時間”であり、“活動”であり、“状態”であることの余暇認識(Leisure Awareness)が、その個人の生活そのものを大きく左右することにもなるのです。
グローバルな時代にあっても、むしろその生きている地域(Local)で、個々人が生き活きと生活していく姿勢を“創りあげていく余暇(Leisure Development)のなかに探求していく時代といえるでしょう。

 

大学では、専門科目や関連科目あるいは専門ゼミナールを通して、多くの学生に生活を豊かにする余暇の本質、即ち、余暇の知られざる力をしっかり伝えていきたいと思っている。

 

↑今も続けている余暇におけるいくつかのボランティア活動の一コマである
「第3回大分国際車椅子マラソン大会」にメディカルオブザーバーとして参加した折の坂本 九さんとの再会。

 

 

鈴木秀雄(人間発達学科)

 

 

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