教員紹介

教育学部教員コラム vol.20

2009.09.10 こども発達学科 伊藤賀永

「甘える」ことで始まる人間関係

このコラムの題は7月5日に亡くなられた精神医学者、精神分析学者の土居健郎先生が7年前の夏に受けられたインタビューの記事の題から採っています。

土居健郎といっても若い方はご存知ないかもしれませんが、50代以上の方なら著書の『甘えの構造』と共にご存知の方が多いのではないでしょうか。1971年に発表されたこの本は日本語特有の「甘え」という言葉をキーワードに、日本人の精神構造や行動様式を解き明かしたもので、140万部を超えるベストセラーとなりました。今でも書店に行くと本棚に並んでいます。また、いわゆる“日本人論”ブームのきっかけとなり、英・仏・独・伊・韓国・タイ・インドネシア語等に翻訳されています。今では日本人ばかりでなく、人間共通の感情や人間関係の核心に迫る本として、海外でも多くの人に読まれています。

 

(年代によって変わる『「甘え」の構造』の装丁)

 

ではなぜ『甘えの構造』がこれほど長く読み継がれているのでしょうか。それはこの本が人間の営みを日常の些細な出来事を通して鋭い眼差しで捉え、しかも日常生活から離れることなく、その背後にある深層心理を平易な文章で綴っているからです。

土居先生によると、「甘え」の心理的原型は母子関係における乳児の心理にあり、乳児の精神がある程度発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後に、その母親を求めることを言います。「甘え」の関係(根源的な信頼関係)なくして、母子関係は成り立たず、健全な母子関係なくして、乳幼児は成長することができません。そしてこうした経験がその後の人生で人間関係を作る時の原型となり、私たちが健康な精神生活を営む上で欠くべからざる役割を果たしているのです。なお、ここでいう「母親」とは乳幼児の育児を中心におこなう人という意味で、それが父親や祖父母や保育者等の場合であっても、同様の関係が生まれます。こうして土居先生は「甘え」の心理の探求をライフワークとして、多くの専門書や論文を発表されましたが、一般の人々に向けても、『「甘え」の構造』の他に、『表と裏』、『「甘え」の周辺』、『「甘え」さまざま』、『「甘え」の思想』、『信仰と「甘え」』等数多くの本を書かれています。

前述のインタビューでも「甘え」について次のように話されています。

「「甘え」という言葉は日本語にしかない面白い言葉です。そもそも「甘える」ことで人間関係は始まります。幼児自身が「甘え」を自覚して親に甘えるのではなく、幼児のようすを見ている大人が幼児の非言語的な接触の仕方を指して「甘えている」と表現するのです。(中略)本当の自立というのは、「甘えられない」あるいは「甘えてはいけない」と自分で悟った時に始まります。そのことが自覚できないで、やせ我慢するのでは本当の自立にはなりません。(中略)心の健康の出発点は、「子供が親に正しく甘えられる」ということです。それは、子供を甘やかすことではありません。甘やかすのは親のエゴイズムです。子供が甘えられないこと、大人が自立できないこと、それが心の病のもとです」(注1)

昨今、児童虐待やいじめ等の子供を巡る痛ましい事件が毎日のように起き、事態はますます深刻さを増しているように見えます。私たちは今こそ、土居先生が残された言葉の重みを感じ、真摯に受け止めなければいけないのではないでしょうか。
最後に個人的なことになりますが、筆者は土居先生を大学院の指導教官として知り合いました。その後30年以上に亘って言葉に尽くせない程、多くのことを教えていただきました。先生が亡くなられて心に去来する思いは色々ですが、先生に出会え、教えを請うことができた幸運を感謝せずにはいられません。これからは教えていただいたことを少しでも多く次の世代に伝えていくことが、私に託された役目ではないかと思っています。

 

(ゼミ生と「甘え」関連の本の数々)

 

(注1)「「甘える」ことで始まる人間関係」、『長野日報』、2002年8月19日

 

 

伊藤賀永(人間発達学科)

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