教育学部教員コラム vol.25

2010.01.28 こども発達学科 鈴木弥生

バングラデシュの子どもたち−就学機会・子ども時代の喪失を余儀なくされる子どものメイド

バングラデシュの子どもたち

−就学機会・子ども時代の喪失を余儀なくされる子どものメイド

 

悠々とした時間の中で、バングラデシュの農村内を駆け回る子どもたち。その生き生きした表情は、利便さを追求するあまりに我々が失ってしまった豊かさであるかもしれない。早期教育に駆り立てられ、携帯機器に魅せられがちな日本の子どもたち・社会とは対照的な情景がそこにはある。

けれども、バングラデシュでは、いまだ小学校(5年間)にさえ就学できない子どもたちが存在している。中でも農村の親元を離れ、首都ダカを始めとする都市で他人の家に住み込み、メイドとしての労働を余儀なくされている子どもたち(家事労働者)の問題は顕在化しにくいということも含めて深刻である。メイドの労働は住み込みと通いに大別されるが、住み込みの場合、その過半は子どもで占められている。しかもその殆どは農村の最貧困層出身の女児である。彼女たちの殆どは、雇用主の元で長時間拘束されているため、就学機会や大切な子ども時代を喪失している。また、正式な雇用契約も成立していない中で、賃金水準は低く抑えられている。それが子どもに直接支払われることも稀で、年に1〜2回の帰省(休日)に際して、子どもの保護者に手渡される。中には、全く賃金が支払われないまま雇用期間終了となる場合もある。

こうした子どものメイドの背景には、農村の貧困と不安定就労者の大量存在、都市よりも低い農村の賃金水準等を利用して、安い労働力として子どもを需要する雇用主の存在がある。また、雇用主とはパトロン・クライアント関係にあり、子どものメイドを斡旋する紹介者(仲介者)の存在もある。これに対して、保護者が積極的に子どもの雇用先を探すことは稀である。農村で尋ねたある母親は「我が子をメイドに出したい親などいるはずもない」と涙を見せていた。このような子どものメイド・保護者と雇用主との関係は、バングラデシュ社会が抱える社会経済的不平等を反映している。

1990年代以降、ILO(International Labour Organization)やユニセフ・バングラデシュ、バングラデシュの非公式教育局(Directorate of Non-Formal Education in Ministry of Education)は、子どものメイドの労働特性を「危険で耐え難い労働」の一つとしてとらえ、その解決に向けて対策を講じる必要があるととらえるようになった。しかし、それを子どもの人権侵害の問題として真剣に取り上げようようとする人々は、一部のNGO関係者を除いて極めて少ない。政府役人や友人宅に招待されるたびに、客室から目に付きにくい台所に立ち、来客ゆえに通常以上の仕事を抱えている子どものメイドを目にする。そうした状況など意に介さぬかのように、雇用主の子どもたちは、来客との会話を楽しむ。メイドと話をしようものなら、雇用主・家族は慌ててそれを遮ろうとする。そして雇用主は、「我々は貧しい家庭の子どもを助けている、あるいは、メイドなしでは生活はできない」と異口同音に子どもの雇用を正当化しようとする。それほどまでに、「子どものメイドの雇用」はバングラデシュ社会に深く根ざしてしまっている。

こうした子どもの労働問題を根本的に解決してゆくためには、社会的貧困問題の解決が最重要課題である。そうした認識の下、バングラデシュでは、いくつかの現地NGOが貧困層や子どもたちのwell-being向上を目的とする支援活動を行っている。中でも、ショイシャブ・バングラデシュ(現地NGO)は、1985年に「子どもの労働の調査」を開始した。その中で、「子どものメイドがより深刻な状態におかれているにもかかわらず、社会全体の関心が余りにも低い」という問題性に着目した。そして1990年代始めから、識字・教育機会の普及と子どもの労働撲滅に向けた独自の活動を展開している。各フィールド・ワーカー(全員女性)は、子どものメイドの雇用先を一軒一軒訪問しながら、子どもの労働状況を把握したり、メイドが識字教室に参加できるよう雇用主に働きかけたりしている。また、雇用主の識字教室運営への参加、雇用主を巻き込んだミィーティング、子どものメイドを雇用すること自体が問題であることを社会全体に認識させるためのキャンペーン等も行っている。つまり、ショイシャブ・バングラデシュは、子どものメイドの支援活動を行いながら、最貧困層にある子どもたちがこのような労働に就かなくてもよい社会を創造することを目指している。このような現地NGOの活動に学びながら、子どもの労働問題の実態と支援のあり方を今後も探求してゆきたい。

 

 

写真1 : 幼い子どもたちを慈しみ、ヤギの誕生を喜ぶP村の子どもたち
(2009年12月31日)筆者撮影、他の写真も同様

 

 

写真2 : P村スラムの朝−セーターに身をくるんだ子どもの笑顔
(2010年1月5日)

 

 

写真3 : 朝夕冷え込む季節に、地元新聞は凍死者数を伝える

そうした厳しい環境の中で、逞しく生きるP村スラムの子どもたち

(2010年1月5日)

 

注 : 子どものメイドに関する写真は、現地関係機関との申し合わせにより掲載していない。

 

 

鈴木弥生(人間発達学科)

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