教育学部教員コラム vol.53

2012.05.03 こども発達学科 伊藤 賀永

あれから1年

あれから1年が過ぎた。あれというのは2011年3月11日に起きた東日本大震災のことである。
その日はたまたま仕事で東京に居て帰れなくなり、横浜の自宅に戻ったのは翌日の昼頃であった。そしてその3時間後には新幹線に乗って、京都に向かっていた。ちょうどその週末に京都で集団精神療法の学会があり、演者の一人として、どうしても京都に行かなくてはいけないと思ったからである。しかし、首都圏でも激しい余震が続き、交通機関はほとんど麻痺状態で、おまけに福島の原発事故は予断を許さない状況であった。行くべきか行かざるべきか、正直言って非常に迷った。また、家族や知人に相談すると、異口同音に反対され、この非常時に学会へ行こうと考えること自体が非常識だと責められた。それにも関わらず行こうと決心したのは、学会に穴を開けてはいけないという研究者としての使命感もあるが、何かしなくてはいられない焦燥感や、テレビの画像から次々に流れ出される惨状を目の当たりにして、自分たちだけが無傷でいることへの罪悪感のようなものがあったように思えるのである。
実際、学会会場に行ってみると、参加者の数が大幅に減り、プログラムも大幅に変更されて、一種独特の緊張感が満ちていた。そして誰もが前日から体験している自然の脅威と衝撃の真っただ中で、自分の中で何が起きているのかわからないまま、日常に戻る糸口を見つけようと必死な様子であった。同時に、この先日本はどうなるのだろう、私たちはどうなるのだろうという言葉にならない不安に打ちのめされていたように思えるのである。

 

 

2011年3月11日の東日本大震災の
特別番組の映像より

 

 

あれからちょうど1年が経ち、私は昨年と同じ3月12日に、同じ京都の大学のキャンパスに立っていた。今度も学会出席が目的であったが、テーマは1年前とは全く違う異文化理解に関する国際学会で、世界各地から多数の研究者が集まり、専門分野も哲学から文学まで多岐に渡っていた。そのため会場の雰囲気もどこか華やいだものがあり、ディスカッションも非常に活発で、得るところの多い、有意義な時間を過ごすことができた。同時に私を驚かせたのは、この1年の間に起きていた私の中の変化であった。というのも、被災地の復興は遅々として進まず、原発事故の処理も根本的に大きく前進していないにも拘らず、私の中では“あの日”からどんどん距離ができて、1年前に感じていた心細さや不安をどこかに置き去りにしたまま、すっかり日常生活に埋没していたからである。そしてこうした変化がいつから起こっていたのかを考え始めた。
人間発達学科の学生には保育者や小学校の先生になる人が多い。だから日頃から学生に「あなたの“3月11日”を忘れないで!」「あの日、日本で何が起こり、あなたや周りの人がその時に何をして、何を感じたか、子どもたちに伝えて欲しい」と言っている。それが歴史を継ぐということであり、歴史の現場に居合わした私たちの務めだと思う。しかし、そう言う私の中で、既に“あの日”が記憶の中の1ページになろうとしている現実を知って、私は愕然としたのである。

 

 

伊藤 賀永(人間発達学科)

  • 一覧に戻る
PAGE TOP
〒236-8501 横浜市金沢区六浦東1-50-1 TEL:045(786)7002
Copyright(c)2013 Kanto Gakuin University All rights reserved.