教育学部教員コラム vol.85
2014.11.20 こども発達学科 大﨑 裕子
教育学分野の授業を担当する私は、まずは学生達が「これが普通」と考えているステレオタイプの教育観からの脱却の一助となるような授業をめざしています。
「なかなか自分の気持ちを言葉に出来なかった私に、いつも丁寧に寄り添ってくれた年長の時の幼稚園の先生みたいになりたいんです」
「クラスのまとまりを大事にしてくれた小学校5年生の時の担任の先生が理想の先生です」
「小学生の時、授業がわからなくて辛かった・・・・・・、だから自分は授業の上手い先生を目指しています」等々。
多くの場合、こうした幸運な(又は不幸な?)出逢いや経験が、学生達が将来目指す教師像や理想の教育の土台となっています。自身の経験をベースに物事を考えるのは、当然のこととも言えますが、大学に入り、教育について学ぶからには、それだけでは限界があります。
「そもそも“コドモ”とは誰のこと?」
「学ぶってどういうこと?」
「学校って何?」
授業の中で私が提起するこうした問いに、学生達はまず自分の考えを書き出してみます。
「よく使う言葉なのに全然説明できない」
「そんなこと考えてみたこともないからわかんない」
「え、これ以外にどんな説明ができるの」
様々な反応の中、書き上げられたものを他者と比べてみます。すると、共通点はあるものの、思いのほか人それぞれ考えが違っているという事に学生達は驚きます。その後、講義を通じ、歴史的・制度的・国際的・社会的視点などから、それぞれの概念を見つめ直していくことで得るのが、「私が当たり前だと思っていたことは、実は当たり前ではないのかもしれない」という認識です。そんな発見の積み重ねから、教育を取り巻く豊かな言説や実践の世界へと足を踏み入れ、新たな視点を獲得していく、そうした学生の様子を目の当たりにすることは、私にとって大きな喜びです。自身の被教育経験だけにとらわれず、大学での座学はもちろんのこと、ボランティア先などでの子どもと関わる貴重な機会を存分に活用して、理想の教育、教師像を追究する幅広い視野を獲得していってほしいと願っています。
大﨑 裕子(人間発達学科)