教育学部教員コラム vol.94

2015.08.01 こども発達学科 三谷 大紀

社会の希望としての保育という仕事

最近、気に入っている言葉があります。

 

ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。
そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。

 

これは、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』のなかで、コレンダー氏がバスチアンに向かって言う言葉です。この言葉が示しているように、子どもとかかわる時には、子どもの世界に入ってみることが大事だと思っています。それは、何が何でも目の前のその子のことが分からなきゃいけないということではありません。分かりたい、支えたいと思いながらかかわり続けるとともに、その子とともに一緒に楽しんだり、悩んだりすることが重要だと言いたいのです。

 

もちろん、子どもの世界に行きっぱなしでは困ります。おとなとして自分自身が放っておけないこと(ケアする、共感する対象)を持ち、喜びや楽しみ、怒りや悲しみなど、さまざまな感情を伴いながらそれらに真剣にかかわっていくことも大切です。でも、実は私おとなよりも子どもたちのほうがそうした姿勢で物事にかかわっているようにも見えます。よって、子どもの世界に入り、子どもから「学び」、おとな自身が生きている世界を豊かにしていく。そんな風に自分自身が生きている世界を大切にし、豊かにしていくおとなの姿をみて、子どもたち自身もまた自分の生きる世界を豊かにしていくとしたら、子どもとおとなの関係は、「育てられる」立場と「育てる」立場といったように二項対立的‐固定的なものではなくなります。むしろ、子どものほうが、私たちおとなを「育てる」ことになり、私たちおとなは「育てられる」立場にもなり得るのではないでしょうか。

 

保育では、個々の「子どもの立場にたつ」ことが重要であるとよく言われます。しかし、それは、目の前のその子のためにのみ重要なのではなく、私たちおとなにとっても重要だと考えたいのです。子どもの立場から物事を理解し直すことが、私たち自身の文化、社会への向き合い方を支えてくれるはずだからです。私たちが今生きる社会は、子どもにとっても、保護者やおとなである私たちにとっても、決して生きやすい社会とは言えないでしょう。もちろん、便利にはなりました。でも、今まで述べてきたようなことは、通用しにくい社会です。むしろ、より早く、より多くのことを、いかに効率的に無駄なく教え、育てるかといった発想のほうが強い社会です。そうした社会に対して、子どものしていることや子どもから「学ぶ」ということが、いかに価値あることかを紹介し、広めていくという意味においても、保育という仕事は、今の社会にとっての希望だと考えたいのです。

 

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ミヒャエル・エンデ著 上田真而子・佐藤真理子訳 『エンデ全集5 はてしない物語(下)』岩波書店,1997年,p.392

 

 

三谷 大紀(こども発達学科)

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