教育学部教員コラム vol.181

2023.05.09 こども発達学科 西川 健二

歴史を学ぶ意味

 

「なぜならいまでも信じているからです。たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。」

アンネ・フランク 1944年7月15日(アンネの日記 文春文庫)

 

アンネ・フランクの「アンネの日記」は今なお世界中の人々に読み継がれている、そしてどこにでもいる一人の少女が著した日記です。皆さんもお読みになった、あるいはその内容を目にしたことがあるのではないでしょうか。「一人の少女」と記しましたが、その少女の過ごした日々は過酷なものでした。1942年7月6日から1944年8月4日までずっと「隠れ家」での生活を過ごし、その後ユダヤ人強制収容所に送られ1945年3月に命を落としました。

私は、小学生の頃にこの本を読み、深い感銘を受けました。そして当時のナチスのユダヤ人迫害、いわゆるホロ・コーストについても関心を抱き、中学生の頃はフランクルの「夜と霧」をはじめとして幾つかの本、記録映画、(異色なものは北杜夫の「夜と霧の隅で」でした)などをあたったことが記憶に残っています。

アンネ・フランクは隠れ家での生活や思春期の葛藤、将来への夢、そして平和への希求を表現力豊かに描きました。「親愛なるキティーへ」というアンネが設定した架空の人物への語りかけから始まるその語り口は瑞々しい感性と、優しい口調ながらも過酷な現実に打ち勝とうとする人間の強さを感じさせます。

私の二人の子どもが小さかった頃、二人を連れて、今は「アンネ・フランク・ハウス」として公開されているアムステルダムの「隠れ家」を訪ねました。アンネが暮らした当時、1階は倉庫、2階は事務所となっていて「隠れ家」へは回転式の本棚を開けて入ります。私たちが訪ねた時もその本棚はそのままにありました。

そして「隠れ家」の部分に入ると、想像していた以上に狭く、アンネの家族を含めて8人が暮らすには息が詰まるような場所であることを実感しました。アンネは日記の中で次のように語っています。

「そのほかのことでも私たちはすごく気を遣って暮らしています。誰かに物音を聞きつけられたり、様子を気どられたりするといけないからです。」

倉庫や事務所に社員のいる昼間はこのようにして過ごし、夜も大きな物音を出すことはできない生活、そしてその生活が終わりの見えないことに少女の過酷な運命を感じさせます。

 

しかし、そのような運命の中でもアンネは希望を捨てることはありませんでした。上記の「人間の本性はやっぱり善なのだということを。」の言葉の後に日記は次のように続いています。
「わたしには、混乱と、惨禍と、死という士台の上に、将来の展望を築くことなどできません。この世界が徐々に荒廃した原野と化してゆくのを、わたしはまのあたりに見ています。つねに雷鳴が近づいてくるのを、いつの日かわたしたちをも滅ぼし去るだろういかずちの接近を、いつも耳にしています。幾百万の人びとの苦しみをも感じることができます。でも、それでいてなお、顔をあげて天を仰ぎみるとき、わたしは思うのです。いつかはすべてが正常に復し、いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と。」

しかし、この日記を記した7月15日から半月余りで隠れ家は摘発され、アンネをはじめとする8人の人々は強制収容所へ送られ、アンネは死を迎えることになりました。

そして、今なお、世界では差別と迫害と戦争が続き、繰り返されています。戦いのたびに同じようなことが生じ、その時に他国を侵略する時に使われた同じ言い回しが使われ、悲しみと怒りが日々増幅しています。

 

「アンネ・フランク・ハウス」にはアンネの父オットー・フランクの言葉「未来を築くためには、過去を知らないといけない」(To build up a future, you have to know the past.)が書かれています。

 

私たち子どもの教育に携わるものとして大切にしたいことの一つは、これからを生きる小学生の子どもたちがどのように「過去を知り」「未来を築く」ことができるのかを考えることです。小学校社会科の学習指導要領は内容(2)の思考力・判断力に「〜歴史を学ぶ意味を考え、表現すること。」と記しています。

そして大切にしたいことの二つ目は、私たち大人も歴史から学んでいくことなのではないでしょうか?

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