教育学部教員コラム vol.79

2014.05.29 こども発達学科 三谷 大紀

「泥団子づくり」を通して遊び込むことの意味を考える

保育園や幼稚園に赴くと、子どもたちが「泥団子づくり」に熱中している姿に出会うことがあります。ある子たちは、お店屋さんごっこの商品づくりに、ある子たちは、とにかくたくさんつくることに、ある子たちは硬くし、光らせることに没頭しているなど、一言で「泥団子づくり」と言っても、その遊び方はさまざまです。
私の担当している「保育内容総論」という1年次の授業でも、毎年、隣接するこども園の園庭をお借りして実際に「泥団子づくり」をします。学生向けなので、子どもが作る場合とは異なり、共通の目的を決めて泥団子をつくります。その目的とは単純明快、「硬い光る泥団子を作る」です。しかし、写真のような「硬い光る泥団子」をつくることはおとなでも容易ではありません。慣れていないと、必ずと言ってよいほど、途中で団子にひびが入ってきたりするのです。学生たちは、どこの土が適しているのか、水と土の割合や握る力加減はどうしたらよいのか、白砂はどのようなものがよいのか等を、一生懸命考えます。学生同士で協力したり、そばで遊んでいる園児に聞いたりもします。学生たちの泥団子を握るその横顔は真剣であり、自分のつくっている泥団子に語りかけているようにさえ見えます。
しばらく経つと、「おぉ、俺の光ってきたぁ!」と言う声が聞こえ、そんな声に「え〜、どれどれ見せてぇ」「すごーい」「どうやったの〜?」と仲間が引き寄せられ、学生たちの表情そのものが「ひかる」のです。その一方で、うっかり落としてしまい、悲鳴や叫び声が聞こえることも少なくありません。(その時の本当に残念そうな顔といったら…)こうした過程を経てつくり上げた泥団子に学生たちは愛着が湧くようで、笑顔でお互いの泥団子を鑑賞し合い、「家に持って帰りたい」と言い出す学生も必ず出てきます。そんな学生たちの姿は、保育の現場で泥団子づくりに魅せられている子どもの姿と重なります。
私たちは乳幼児期において何かに熱中・没頭して遊び込んだことを、その過程での他者やモノとの出会いを、そしてそれらに伴う感情を、おとなになっても必ずしも鮮明に覚えているわけではありません。さらにそうした経験は、将来や先の人生にとって何の役に立つのかといったように合理性や効率性ばかりが重んじられることが多い時代や社会のなかでは、意味を見出されにくいものかもしれません。しかし、覚えていない、一見何かの役に立つのかが見えにくいからといって、意味がないわけではありません。むしろ、重要なのです。では、なぜ、乳幼児期の子どもにとって遊び込むことが重要だと思いますか?そのことを人間発達学科の保育士及び幼稚園教員養成課程では、4年間をかけてじっくり学んでいきます。

 

 

 

 

三谷 大紀(人間発達学科)

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